①ともに極楽に往生して、同じ蓮の台に生まれること。
②行動や運命を共にすること。
蓮は泥の中に育ちながら清らかな花を咲かせる極楽浄土を荘厳する聖なる花と言われ、その蓮の台座は仏や如来が坐するにふさわしいものであり、極楽往生した人が座る台座とされています。
現代では
「こうなったらお前と俺は生きるも死ぬも一蓮托生だ」と結果の善し悪しにかかわらず、行動や運命を共にする意味で用いられたり、
「まさに一蓮托生で仲間5人がイモずる式捕まりました」と悪事の罪を共に受けるような使用例が多くみられますが、
本来の意味は①で由来は浄土宗の開祖である法然が晩年に法難に出遭った時のエピソードで、法難によって法然が四国への配流されてしまうのを阻止できず別離を悲しんだ理解者である 九条兼実 に対して「大丈夫、一蓮托生です。念仏を専修するあなたは私(法然)と一緒に極楽浄土の七宝池に咲く同じ蓮の台に共に生まれます。」と励ましの言葉を伝えたことからきています。
蓮の台は極楽に往生した人が座る台座、托生は身を寄せて生きることを意味します。